伊藤沙莉さんには、物心つくころにはすでに父親の存在はなく、母・伯母・兄・姉と、狭いアパートに身を寄せるように暮らした壮絶な過去がありました。
父親の経営していた会社がバブル崩壊後に倒産、借金取りに追われる父親は蒸発、両親は離婚し、父親は最終的にガンで亡くなっています。
伊藤沙莉さんが9歳で子役デビューしてから、今現在も芸能界で活躍している陰には、ともに辛い経験を乗り越えた、家族の存在がありました。
2024年、NHK朝ドラ『虎に翼』のヒロインに大抜擢され、ますます注目を集める演技派女優の伊藤沙莉さんが気になるあなたは、最後までお読みくださいね。
伊藤沙莉の父親はポンコツのトラブルメーカーで逃走!
伊藤沙莉さんには2歳のころから、父親の姿がなかったため、父親との思い出もわずかしかないそうです。
道路工事会社の社長だった父親は、1996年バブル崩壊のあおりで会社を倒産させ、蒸発し、自宅には借金取りが毎日押しかけていたとか。
5歳上の兄・オズワルドの伊藤俊介さんが自らのnoteに記す父親は「稀代のぽんこつ」「海賊並みの酒飲み」「面白い」人だったそうです。
いつまでもバブルな父親
伊藤沙莉さんの母親が「あいつはバブルが終わったことに気づいていない」と父親を揶揄したといいますから、会社が倒産するまでは羽振りもよかったのでしょうね。
おそらく、伊藤沙莉さんの父親はバブル崩壊後も「今がよければいい」と好き勝手やっていたために、母親に愛想つかれて離婚になったのかもしれません。
しかし、兄・伊藤俊介さんは意外や意外、「やりたいように生きて、自業自得な人生だが、人としても父親としても嫌いにならなかった、大好きだった」といいます。
また、伊藤沙莉さんも、父親との思い出が少ないためなのか、父親を悪くいっていません。
それどころか、逃走中の父親とずっと連絡を取り合っており、最後の看取りを家族で出来たといいます。いろいろな意味でスゴイなぁ…。と感心しきりです。
伊藤沙莉の父親の最期
兄いわく、「やりたい放題で楽しく生きた」末に、伊藤沙莉さんの父親は喉頭ガンで千葉大付属病院で亡くなっています。
伊藤沙莉さんの実家も千葉ですから、父親も逃走中といいながら、いうほどは遠くではなく、案外近くに潜んでいたのでしょうね。
伊藤沙莉と【一家離散】父親以外の家族の行方
伊藤沙莉さんの父親以外の家族は、母親・母親の姉である伯母・姉・兄の5人家族です。
父親が消え、住む家を失い、兄と姉は友人の家へ、母は軽トラで寝起きし、身体が弱かった伊藤沙莉さんは伯母夫婦の家へと、家族は散り散りになったそうです。
が、しかし、それもつかの間、伯母夫婦も離婚に至り、伊藤沙莉さんは伯母と共に家を追い出されることに…。
それから父親以外の家族に伯母も加わり、Gが大量発生するボロボロのアパートで、3枚の布団に家族5人が身を寄せ合って眠る生活が始まるのです。
そんな生活でも、伊藤沙莉さんは「家族みんなで暮らせることが本当に嬉しかった」そうです。
2021年のフォトエッセイ本『【さり】ではなく【さいり】です』で語っています。
こどもの夢のためなら!母と叔母の深い愛
住むところもままならないほど貧しい暮らしのなかでも、伊藤沙莉さんの母親と伯母は習い事をさせてくれたといいます。
ダンスが好きでダンサーを目指していた伊藤沙莉さんは、3歳の頃からキッズダンス教室へ通わせてもらったそうです。
親の愛は海より深しだね!
伊藤沙莉さんが小学2年生になるころ、家族は団地へ引っ越します。
「廊下がある」「豪邸」と言って喜んだ伊藤沙莉さんに母親は、「このときの気持ちを忘れないように」と諭したそう。
また、母親はほかに「ひとりで神輿は担げない」まわりへの感謝の気持ちを忘れるなとも、伊藤沙莉さんに伝えています。
働き詰めだった伊藤沙莉の母親
伊藤沙莉さんの母親は、朝から晩まで働き詰めだったといいます。
最初のうちスナックで働いていた母親は、やがて牛乳配達を始め、さらに、まったくの未経験からペンキ職人になり、家族5人分の生計を立てたそうです。
それもこれも、「夜は一緒にいてほしい」と兄・伊藤俊介さんにせがまれたためでした。
母は強しですね!
ペンキ職人の母親は、雨の日が休みになるため、伊藤沙莉さんは「雨の日が好き」だったといいます。
伊藤沙莉の兄はお笑い芸人オズワルドの伊藤俊介
今ではよく知られている話ですが、伊藤沙莉さんの兄はお笑い芸人のオズワルド伊藤俊介さんです。
9歳から子役をしていた伊藤沙莉さんの方が先に稼げていたため、芸人としてまだ売れていなかった兄が、妹の住まいに転がり込み一時期は同居していたといいます。
家賃は伊藤沙莉さんが12万円、兄が4万円を負担しており、兄は「ヒモお兄さん」と自虐的でした。
やがてオズワルドも売れるようになり、今は妹の扶養から外れ独り立ちしています。
「また来ますんで」と言う兄に、妹は「来ないでくださーい」と返しています。
なかよしだね♪
伊藤沙莉の姉は一般人だがクレイジー
伊藤沙莉さんの3歳上の姉・伊藤史織さんは一般人のため詳細は不明ですが、結婚し、2023年には子どもが生まれています。
伊藤沙莉さんも結婚願望高まったろうね♪
伊藤沙莉さんは一般人の姉について「クレイジー」と表現しています。
伊藤沙莉さんも、兄の伊藤俊介さんもネガティブな性格のようですが、兄妹の中で唯一ポジティブで根っからの明るいタイプなのが、姉・史織さんのようです。
しかし、姉の好きなところは「全力で守ってくれる」ところだそうで、姉妹仲も最高ですね。
兄弟3人とも仲良く、過去にはテレビ共演の経験もあります。
2022年2月19日放送のフジテレビ『まつもtoなかい~マッチングな夜~』では3兄妹で共演していました。
お姉さん、ほんと明るそう♪
伊藤沙莉はうっっっっっっっすら韓国人ハーフ
伊藤沙莉さんは、本人も認めていますが、日本人と韓国人の血をひいています。
「うっっっっっっすら」とは、はて?
父親と母親どちらが韓国人か
伊藤沙莉さんは、「うっっっっっっっすら韓国人」であるといいながらも、父親と母親のどちらが韓国人でどちらが日本人なのかは明言しておらず、不明です。
ネットの情報では「伊藤沙莉さんの父親が韓国人」と断言している情報が多々あります。
が、しかし、私は母方が韓国人ではないかな?と思います。
伊藤沙莉の母方が韓国人かと思われる理由
伊藤沙莉さんの母方が韓国人と思われる理由として3つあげられます。
- 伯母が韓国語を使っている
- 伊藤沙莉も韓国語を使っている
- 年越しにキムチ鍋をしている
ひとつめの理由として、伊藤沙莉さんの伯母からの手紙に「イモより(韓国語で伯母の意味)」と書かれていた、という情報があります。
伯母がもし韓国人でなければ、わざわざ韓国語で自分を呼ぶことはないでしょう。
ふたつめに、伊藤沙莉さん自身も韓国語の単語を使用しているためです。
「韓国語話せないどころか日本から出たこともありません」といいつつ、日記に「オンニ(韓国語で姉)とイモ(伯母)とさいり、この3人で来ました」と書いています。
おそらく、普段から姉を「オンニ」、伯母を「イモ」と呼んでいたのでしょう。
つまり、伊藤沙莉さんは韓国語で会話は出来ないが、単語程度は知っている環境であるといえます。
日頃から、母と伯母2人での会話は韓国語だった可能性も高いです。
在日韓国人であるアンミカさんも、韓国語を話せなかったが、幼いころから親たちが話している会話は韓国語で、韓国語の単語はわかっていたといっています。
また、3つめの理由として、伊藤沙莉さんは、年越しに家族でキムチ鍋を囲んでいます。
年越しにキムチ鍋というのも、日本人の年越しにはあまりないかな…?と思うのですが、ちょっと考えすぎでしょうか。
以上3つの理由から、伊藤沙莉さんは、母親が韓国人であると考えられます。
とはいえ、伊藤沙莉さんが「うっっっっっっっすら韓国人」であろうと無かろうと、そんなことどうでもいいのです。
伊藤沙莉さんにどこのなんの血が流れていようが、伊藤沙莉さんは伊藤沙莉さんでしかないのです。
伊藤沙莉さんが、過酷な環境でもへこたれないでこれたのは、母親と伯母からのたっぷりの愛情はもちろん、家族みんなの結束があったからでした。
2024年、NHK朝ドラ女優となった伊藤沙莉さんが、母親と伯母にお家を建ててあげるのも、もうすぐでしょうね!
伊藤沙莉さんのこれからのご活躍を楽しみにしています。