デヴィ夫人は「ハーフなの?」と、気になっているあなたに向けてこの記事を書いています。
その顔立ちと名前からして「きっとハーフなのでは?」と思いますが、デヴィ夫人はハーフではありません。
生粋の日本人です。
純日本人なのにハーフ顔なのはなぜか、その理由も気になりますよね。
デヴィ夫人のハーフ顔について深堀りしていますので、どうぞ最後までおつきあいください。
デヴィ夫人はハーフではなく生粋の日本人
デヴィ夫人の旧名及び日本名は、根本七保子(ねもとなおこ)さんといい、1940年(昭和15年)2月6日に日本に生まれた生粋の日本人です。
デヴィ夫人として慣れ親しんでいるので、「ねもとなおこ」という響きは、なんだかデヴィ夫人にはあまりに平凡過ぎるように感じてしまいますね。
大統領夫人になった日本人
デヴィ夫人が通称デヴィ夫人と名乗るのは、22歳のときにインドネシアのスカルノ元大統領の第3夫人となってからです。
引用元:oitachi-ima.com
夫人の正式な名前は、ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(Ratna Sari Dewi Sukarno)というエライ長い名前で、サンスクリット語で「宝石の精なる女神」という意味なのだそう。
華やかで煌びやかなデヴィ夫人にぴったり!
デヴィ夫人のルーツは日本
デヴィ夫人のご両親はどちらも日本人ですので、デヴィ夫人がハーフではないことは確かです。
引用元:Twitter
NHKの「ファミリーヒストリー」という番組で、デヴィ夫人自身もほとんど知らないでいたルーツが調査されました。
デヴィ夫人の父方のルーツは武士から始まり、母方のルーツは農民でした。
デヴィ夫人の先祖をわかる範囲でまとめますと
- 父方の根本家は室町時代から続く有力な武士だった
- 父方の曽祖父・根本兵吉は茨城の平磯で漁師の総代をしていた
- 父方の祖父・根本兵三郎は海難事故で船を失くし海産物店を経営する
- 父・根本平七は船大工だったが関東大震災後に大工として港区に移り住む
- 母方の祖父・笠原房治は千葉の睦沢の豪農だった
- 母・まさは後妻
となっています。
ご先祖さまへの感謝を欠かさないデヴィ夫人
デヴィ夫人のインスタグラムでは、父方根本家への墓参報告がアップされています。
引用元:instagram
デヴィ夫人は、ご先祖さまのお墓参りを欠かしません。
「感謝」と「おかげさまの心」大事ですね。
なぜ?デヴィ夫人がハーフ顔に見られる理由
デヴィ夫人が「ハーフなのでは?」と思われるのは、一言でいえば、デヴィ夫人は日本人離れした西洋人の顔をしているからです。
引用元:Twitter
日本人の典型的な顔立ちは平坦で、薄くのっぺりしていて、全体にパーツが小さく、一重まぶたです。
それに対し、デヴィ夫人の顔立ちは、彫りが深く立体感があり、鼻筋が高く、ぱっちりとした奥行のある二重の大きな目をしています。
デヴィ夫人は若い頃からハーフ顔で整形ではない
とはいえ、デヴィ夫人は、西洋人風に整形してハーフ顔になったのでは?という疑問もわいてくるかもしれません。
しかし、デヴィ夫人の家は貧しく、望んでいた美術系への進学も断念し、定時制高校に通いながら中卒で働かなければなりませんでした。
とてもじゃないですが、整形するほどの金銭的余裕はなかったでしょう。
引用元:Twitter
デヴィ夫人の若い頃の写真を見るとわかりますが、他の人とくらべ異次元に整っていますね!
生まれついてのハーフ顔だったのでしょう。
デヴィ夫人のハーフ顔を活かしたシンデレラストーリー
先にお話ししたように、幼少期のデヴィ夫人の家は貧しく、生活は苦しいものでした。
デヴィ夫人は足が悪かったお母さまを「私が支えなければ!」という思いで、中学卒業後、昼間は生命保険会社で働きながら、夜は定時制高校に学ぶ日々を送ります。
それでも、一家を支えるにはまだまだ足りず、かけもちでアルバイトもするのですが、1956年に父が亡くなり高校を中退、やがて高級クラブ「コパカバーナ」で働きはじめます。
引用元:Twitter
ここから、デヴィ夫人の運命の扉が開くのです。
プリンセスは美貌と努力のたまもの
デヴィ夫人は、高級クラブ「コパカバーナ」でプリンセスと呼ばれるほどの人気を得ていました。
引用元:Youtube
赤坂にあった「コパカバーナ」と言えば、日本随一の社交場として海外のVIPに知られている、伝説の高級クラブでした。
この頃にスカルノ大統領と運命の出会いをすることになります。
引用元:Twitter
財政界、外国の要人などのお相手をする高級クラブ「コパカバーナ」は、入店のハードルが高く、単に美しいだけではなく豊かな知識も必要とされました。
そのため、デヴィ夫人は社交ダンスを覚え、独学で英語を習得するために努力を重ねます。
選ばれる女になるために【絶対的努力】をする
デヴィ夫人は、生まれついた美貌に寄りかからない、努力と根性の人だったのです。
上昇志向のデヴィ夫人はそのときから「男性に選ばれる女になる」ことを意識されていたのでしょう。
引用元:Twitter
「選ばれる女におなりなさい」というタイトルの婚活論の著書で、デヴィ夫人はこう記しています。
「チャンスが巡ってきたら必ず掴むこと。」
また、デヴィ夫人は、「選ばれる女というと、受け身に聞こえるかもしれないが、実はそれは全く逆だと」とあるインタビューで語っています。
「もし、この人と結婚したい、という男性に会ったら、その人から選ばれるように仕向けたらいいと。」
「それから、絶対的な努力。なせばなる、なさねばならぬ何事もに尽きますよ。」
とも、語っています。
デヴィ夫人に言われると、がぜん、やる気出てきます!
狙ったチャンスは確実に掴む
インドネシアに渡ってから数年は愛人だったデヴィ夫人ですが、第3夫人の地位を自分の手で掴み取ります。
デヴィ夫人は、大統領夫人の座につくために、絶対的な努力をされてきたのでしょう。
引用元:時事通信社
当時、アメリカ人の愛人だったデヴィ夫人は、愛人よりも妻の座を望み、一夫多妻が認められているインドネシアのスカルノ大統領に「選ばれる」ように狙いを定めたのですね。
18歳で総入れ歯のプリンセス!
高級クラブ「コパカバーナ」でプリンセスと呼ばれていたデヴィ夫人は、もって生まれた美貌を最大限に生かす努力も惜しみません。
デヴィ夫人は赤坂にある高級クラブ「コパカバーナ」で働いているときに見栄えを良くするために、18歳で総入れ歯にしているという噂もあります。
18歳で総入れ歯とは根性入ってますね!
しかし、デヴィ夫人は2022年8月1日「歯が命の日」記念「サンギ 歯が命アワード2022」表彰式でトロフィーを授与されていますので、総入れ歯は噂に過ぎないでしょう。
「28本全て自身の歯で、虫歯もない」とデヴィ夫人は語っています。
1日に最低でも5回歯磨きをしているのだとか!
入れ歯でも自前でも、いずれにしても美意識が高いことをうかがわせる2つのエピソードですね。
デヴィ夫人のハーフ顔に魅せられた人たち
デヴィ夫人は、その美貌でモテモテ人生を歩みました。
掃いて捨てるほど言い寄ってくる男性がいたそうです。
大統領夫人に大物俳優に…デヴィ夫人は若い頃どれほどモテたのでしょう…。
デヴィ夫人のハーフ顔は整形外科でも大人気!
ホステス仲間からも憧れられていたデヴィ夫人のハーフ顔は人気で、整形外科医では「デヴィ夫人みたいな顔にしてください。」と希望する客が列をなすほどだったそうです!
引用元:instagram
しかし、デヴィ夫人は、80歳を超えた今でも、セルフケアに余念がないですね!
生まれ持ったものだけでは満足しない、美への追求と努力が、美しさを維持している秘訣でしょう。
やはり何かを成す人は、違います。
フランス社交界では東洋の真珠と称えられる
クーデターにより、スカルノ大統領が亡くなった後、デヴィ夫人は亡命し、フランス・パリへ拠点を移します。
ヨーロッパ社交界ではその美貌で「東洋の真珠」と称えられ、華となりました。
なんと、その頃におつきあいした人に、アランドロンがいたというのだから、まあ~驚きますねっ!
引用元:Twitter
デヴィ夫人、スゴ過ぎ!
オードリーヘップバーンにも負けていないデヴィ夫人!
デヴィ夫人の美貌は、オードリーヘップバーンにも引けを取らないと言う人さえ…。
引用元:Twitter
確かに遜色ない!美しい!
デヴィ夫人の日本人離れしたハーフ顔について、見てきました。
生粋の日本人なのに、日本人離れしたハーフ顔で、富と名声と、それから愛も手に入れたデヴィ夫人。
華やかなだけでなく、陰で何度も泥水をすすってきたことでしょう。
私もチャンスが巡ってきたら必ず掴めるように、がんばります!