かつてはホスト界の帝王として君臨し、現在は実業家として8つの事業を立ち上げているローランド(ROLAND)さん。
ローランドさんの華々しい成功の陰には、若い頃のいくつかの大きな挫折がありました。
が、しかし、屈辱やコンプレックスを自らひっくり返し、ローランドブランドの価値を高めることで、多くのものを手にしています。
今回は、18歳でホスト業界に入り、挫折を乗り越えて最高峰にのし上がった、ローランドさんの生い立ちを追いました。
ご興味あれば、ぜひ最後までお楽しみください。
ローランドの生い立ち挫折と成功を追った!
俺の人生、俺が主役だ。
このローランドさんの言葉に勇気をもらう人は多いことでしょう。
ローランドさんの成功の裏側に迫りながら、どのようにして今の地位に到達したのか、幼少期からの生い立ちを、ご一緒に振り返ってみましょう。
ローランドって何者?
カリスマホストであり実業家のローランドさん、本名松尾風雅(まつお ふうが)さんは1992年に東京・八王子市で誕生しました。
高校を卒業後、大学をわずか1週間で退学し、18歳でホストデビューし、カリスマホストとして名を馳せます。
8年間の現役ホストで経験を積んだ後、26歳で独立し(株)ROLAND GROUP HDを設立し、現在は実業家の道へ入ります。
- メンズ専用の脱毛サロン
- 美容室
- 化粧品開発・販売
- 芸能マネジメント会社
- 美容皮膚科のクリニック
- 飲食店
- 企業コラボ
- ファッションブランド
など、8つもの企業を所有・経営しています。
俺か俺以外か
ローランドさんの実績の自信に基づいた名言、ビッグマウスもまた有名ですね。
座右の銘は「世の中には2種類の男しかいない。俺か俺以外か」
現在実業家として成功を収めているローランドさんは、現役ホスト時代には1日6,000万円の最高売上を記録していました。
が、しかし、全てをたやすく手にれたわけではなく、ローランドさんの成功の陰にも、やはり苦労や試練があったのです。
ローランドの生い立ち ー幼少期ー
ローランドさんは幼少期からサッカーに熱中しており、「俺より上手い奴はいない」と自負できるほどに、年中サッカーに没頭していたといいます。
幼少の頃から他の子どもたちとは異なり、小学1年生のクラス替えには「集団の一人として扱われるのが嫌」という思いから、先生に抗議したこともあったそうです。
すでに大物の予感!
彼のユニークな個性や独自の考え方がすでに現れていたのですね。
ローランドの生い立ちー中学時代ー
中学校時代、ローランドさんは目立ちたがり屋で、「話題の中心にいたい」「クラスでどうやってトークを回そうか」と常に考えているような子供でした。
相変わらずサッカーに夢中なローランドさんは、幼少期からのサッカーの実力が評価され、柏レイソルのジュニアユースの青梅支部に所属することとなります。
そう、ローランドさんは本気でプロのサッカー選手を目指していたのです!
ローランドの生い立ちー高校時代ー
周囲から「絶対にプロサッカー選手になれる」「天才」と、絶大な信頼があったローランドさん。
ローランドさん自身も、自分は無敵だと信じており、スポーツ推薦で特待生としてサッカーの名門帝京高校に進学しました。
このときのローランドさんは、サッカーのことか、ご飯のことくらいしか考えることがなかったといいます。
制服デートもない青春だって。
人生の挫折と屈辱を味わう
が、しかしローランドさんは、意気揚々と入ったサッカー部で、なんと一度も公式の試合に出場させてもらえないままという人生で最初の挫折と屈辱を味わいます。
また、高校三年間、必死にしがみついて打ち込んだサッカーでは、プロ入りの声がかかることもありませんでした…。
が、しかしローランドさんのプライドを粉々に砕いたのはそれだけではありませんでした。
こいつには絶対勝てない!
ローランドさんは、ブラジル遠征のときにネイマールのプレーを目の当たりにし、彼の実力に圧倒されたといいます。
ローランドさんとネイマールは同じ1992年生まれですが、「同い年でこんなにすごい選手がいるなんて。」と驚いたと同時に「サッカーはネイマールにまかせよう。」ときっぱり諦めたのだそうです。
どんなに努力しても、絶対に勝てないと確信したのです。
ローランドさんにとって、ブラジル遠征は人生でトップ3に入るくらいの大きな挫折だったといいます。
ローランドさんは「人生で大きい損切りでした。」と語っていますが、ここがローランドさんの成功の肝なんですよね!
ちなみにサッカー好きは相変わらずで、今でもホスト仲間達とフットサルをするそうですよ。
ローランドの生い立ちーホスト時代ー
プロサッカーの道を絶たれた失意のローランドさんは、高校を卒業後、ご両親や先生のすすめで大学に進学しますが、入学式で「ここは俺の道じゃない」と中退します。
そして、18歳でローランドさんは夜の世界に身を投じるのですが、それにはドラマ「夜王」の影響が多大にあるといいます。
面白いドラマだったよね。
ローランドさんはご両親にホストになると宣言して、父親に勘当される形で家を出て、退路を断ちました。
多くの人は、帰る場所や優しく受け入れてくれる場所があれば、甘えて戻ってしまうことが一般的です。
が、しかし、「ここでしかやるべきことはない。この世界で前に進む他に道はない」という覚悟を決め、ホストクラブの寮に住み込みました。
それでは、ホストとしての下積み時代から始まるローランドさんの経歴を一緒にみていきましょう。
ホスト駆け出しの下積み時代のローランド
源氏名「東城誠」でホストデビューしたローランドさんは、しんどい下積み時代を1年ほど経験しました。
ホスト界の帝王とまで言わしめたローランドさんにも売れない下積み時代があり、売上が3940円しか上げられず、給料が3万円足らずということもあったそうです。
高校までサッカー一筋の日々を送っていたローランドさんは、女の子とまともに会話するどころか、目を合わせることさえままならないほどだったといいます!
え~!本当?
ホストクラブへの通勤はチャリンコ、食べるものは100円ローソンの売れ残りで安売りになった50円のパン…。ときには歯磨き粉を食べたこともあったそうです。
ポジティブ思考でかけあがる!
が、しかし、反骨精神とポジティブ思考で上しか見ないローランドさんの口から発せられる言葉が素敵です。
「ホストはどんだけ落ちても下を向いてはいけない。下を向いてはいいのは出勤前に靴を履くときくらい。」
くうう~かっけえ!
とはいえ、ローランドさんが成功したのは、反骨精神とポジティブ思考があったからだけではありません。
ローランドさんは、本を読んでトークスキルを磨いたり、外見を磨いたりと努力を怠らなかったのです。
ちなみに、ローランドさんがポジティブ思考ができるのは「毎日8時間は寝る。」からのようですよ♪
ローランドの整形前はまるでゴリラ?!
「顔が良くなければ売れない」と考えたローランドさんは、カッコよくなりたくて整形をしたと公言しています。
整形前のローランドさんは、確かに野性味があり、良く言えば漢らしい顔立ちでしたね。
「お顔のお直し」もローランドさんの成功の要因の一つでしょう!
20歳でトップへ!
その後ローランドさんは、歌舞伎町で数々の最年少記録を更新し、20歳で当時所属していた店舗の代表取締役に就任しました。
輝かしいその実績から、名実ともに歌舞伎町のトップホストとして、現代ホスト界の帝王に!
- 2013年 現役ホストとして史上最高額の移籍金でKG-produceに移籍
- 2017年 4200万円の売り上げで店舗最高記録を樹立
- 2017年 年間売り上げも1億7000万円超え
- 2018年 月間6000万円を売上、グループの個人最高売り上げ記録を樹立
現在は自身初の独立店となる「THE CLUB」を設立し、オーナーとして経営に携わっています。
ローランドのブランド戦略勝
ローランドさんは、2017年8月に源氏名「東城誠」から「ROLAND」に改名します。
ローランドさんの「東城誠」という名前は歌舞伎町ですっかり有名になっていたので、周囲は驚き、猛反対したといいます。
東城誠が嫌いなローランド
ローランドさんは、東城誠が嫌いになり「東城誠をやめたかった。」といいます。
色恋営業や「女は金」「金のない女は来るな」というスタイルで営業していた「東城誠」というキャラに対して、次第に自己嫌悪に陥いるようになったのだそうです。
ローランドの名前の由来
ローランドさんは「東城誠」の名前でなければ正直なんでもよく、たまたま「帝一の國」という漫画を読んでいて出てきた「ローランド」にした、とも語っています。
女の子を泣かせるような「東城誠」ブランドを捨てて、ローランドに改名することで、「お客様は神様」というスタイルへと見事イメージチェンジを図ったのです。
さらに自分の私生活もブランディングし、Youtubeで発信することに勝算があると確信していたとも語っていました。
賢いね。戦略勝ちね。
ローランドの家族構成
最後に、幼少期の思い出や家庭環境はめちゃくちゃ大事だと語るローランドさんの家族を紹介しておしまいにしましょう。
ローランドさんの家族は、父親と母親、ローランドさん、二卵性双生児の妹、6歳下の弟・叶音(かのん)さんの5人家族です。
ローランドの父親は有名ギタリスト
ローランドさんのお父さんは、有名ギタリストの松尾洋一さんです。
松尾洋一さんは、主に声優さんやアニソンの演奏をしているそうです。
お父さんはミュージシャンなので、子供に「風雅」→フーガや「叶音」→カノンといった、音楽に関連する名前をつけているのですね♪
なるほど♪
双子の妹さんのお名前は不明ですが、妹さんもきっと音楽に関する名前でしょう。
ローランドさんがホストになったときは勘当したお父さんも、今では一緒になってローランドさんを応援してくれているそうです。
女には勝とうとするな!
ちょっとイカしたお父さんで、ローランドさんが中学生のころには、「男に生まれた一番の幸せは惚れた女に振り回されることだ」と教えてくれたそうですよ。
女には勝とうとしないで、女の尻に敷かれて生きろ!
なのだとか!
お母さん、お幸せでしょうね~!
ローランドさんが女性を喜ばせるのが得意なのは、実は父親ゆずりか、教えのたまものなのですね♪
母とローランドのびっくりエピソード
ローランドさんは、母親の朱美さんをとても大事にしており、誕生日プレゼントに「なんでも好きなもの買って!」と、クレジットカードを贈ったといいます。
また、一般人ではとても出来ない親孝行をしています。
さらに、母親の朱美さんが他の女性と被る事を嫌うので、プレゼントしたのと同じ物を国内在庫全て買占め、誰も買えないようにするのがローランド家のルールだとか。
なんという~。
また、兄弟への愛も、とどまることを知らないローランドさんです。
ローランドには双子の妹と6歳下の弟がいる
ローランドさんには二卵性双生児の妹さんがいますが、ローランドさんの妹さんへの溺愛ぶりが、ちょっと異常なようです。
妹さんの彼に会ったときローランドさんが言い放った言葉が「お前は俺よりいい男には見えない。自分よりいい男じゃないと妹のことを任せられない。」だったとか!
結果、妹さんと彼の関係はおしまいになり、妹には「お兄ちゃんがちゃんと面倒を見てあげるから。」と言ったのだとか。
ローランドさんは「こんなに素晴らしい兄は他にいない」と一人悦にいっていたのですが、妹は「お兄ちゃん、キモいんだけど!」とバッサリ切り捨てます。
お兄ちゃん、哀し…。
もちろん、6歳下の弟叶音(かのん)さんに対しても、ローランドさんは面倒見の良い兄貴ぶりを発揮しています。
本来、整体師になる予定だった叶音さんが学校を中退したときに、無駄になった学費を全額ローランドさんが肩代わりしたそうです。
叶音さんは現在、ローランドさんが経営する脱毛サロンの店長を勤めています。
ローランドさんの熱過ぎる家族愛にビックリですよね。
本当にご両親にとても大切に育てられてきたからでしょう。
「女を泣かせる東城誠」でいられなくなり、ローランドにブランド変更したのも、ローランドさんの育ちの良さから来ているように感じます。
今後も、俺以外の多くの人に支持され、愛される俺で突き進んでいかれるでしょう!