知らなかった!横山裕の生い立ちが哀し過ぎて涙!

アイドル、タレントとして大活躍している、関ジャニ∞の横山裕さんの生い立ちが哀しいぐらい壮絶だったことはファンの間ではよく知られています。

あなたは知っていましたか?

ひょうひょうとして明るい横山裕さんが、そんな生い立ちを抱えてきたとは…ビックリで涙が止まりません。

今回は、横山裕さんの生い立ちについて気になるあなたのために、この記事を書いています。

ご興味あれば、最後まで読んでくださいね。

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横山裕の生い立ちに泣けて仕方ない

横山裕さんは、1981年5月9日大阪市生まれの42歳です。(2023年時点)

引用元:instagram

3歳頃までは比較的裕福な家庭だったという横山裕さんの人生は、ご両親が離婚することで一気に暗転します。

引用元:ザ・テレビジョン

横山裕さんの涙なしでは語れない、壮絶な生い立ちを追っていきましょう。

始まりは両親の離婚

引用元:YouTube

横山裕さんは、2019年12月放送のNHKスペシャル「令和家族 幸せ探す人たち」で、子供の頃の一番の思い出として「車の中で父親と母親が別れ話をしていたことを鮮明に覚えている。」
と、語っています。

「離婚」がどんなものかわからないような幼い頃の記憶を鮮明に覚えているとは、深刻で重苦しいその場の空気を感じ取っていたからでしょうね…。

横山裕さんは両親の離婚以降、母親に引き取られ、実の父親には会っていないそうです。

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母親の再婚で最悪の状況に

両親の離婚から2年後、横山裕さんが5歳のときに母親が再婚し、義父と暮らすことになりました。

義父から突然「今日からお父さんと呼びなさい。」と言われても、衝撃的すぎて横山裕さんは「お父さん」とはどうしても言えなかったそうです。

義父となった、母親の再婚相手は、横山裕さんを邪魔者扱いし、ときには暴力をふるうこともあったそうです。

よくあることではありますが、そんな義父に気を使い、母親も横山裕さんに辛くあたったそうです。

祖父母に引き取られるが…

義父とそりが合わない横山裕さんは、当時住んでいた団地の8階から、同じ団地の10階に住んでいた祖父母の元に引き取られることになります。

しかし、親代わりになってくれた優しい祖父が、心臓の病で倒れ亡くなってしまいます。

関ジャニ∞の曲に「413man」(じいちゃんマン)というものがあるのですが、これは祖父さんへの横山裕さんの思いを綴ったもので、関ジャニ∞ファンでは涙なしには聴けない曲です。

引用元:X (Twitter)

「413man」は、体調を悪くした祖母へ贈ろうと思った曲でしたが、曲の完成を待たずに祖母も亡くなってしまいます…。

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義父の虐待再び

祖父が亡くなり、母親、義父と暮らすしかない横山裕さんに、再び虐待が始まりました。

引用元:YouTube

横山裕さんが6歳の頃に、母親と義父の間に次男、8歳の頃に三男が生まれていますが、その弟にまで虐待は及び、弟をかばうために、横山裕さんが盾になっていたそうです。

引用元:YouTube

母親はよく泣いており、義父の怒号が聞こえていた時もあったと、横山裕さんは振り返ります。

義父について振り返ると

横山さんは、義父のことを振り返り、悪くは言いたくないけれど、まだ許せていない部分があり、何年も会っていないことがずっと引っかかっていると、明かしています。

それでも、「俺に謝ったり、ありがとうということで、オトンは気持ちが楽になるのかなと思って。謝らさせてあげたほうがいいのかなと思った。」と語る横山さんの優しさに、涙したファンは少なくありません。

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中学卒業と同時に働きながらジャニーズ

中学を卒業後、高校進学を許されなかった横山裕さんは、父親の代わりに仕事を掛け持ちして働く母親を助け、卒業と同時に建設会社で働きながらジャニーズJr.のレッスンに通います。

引用元:YouTube

横山裕さんが作業着のまま現場入りしていたというのも、ファンの間では鉄板ネタらしいですね。

「夢を売る仕事してるのだから身なりに気をつけろ!」と注意されても、「俺はこれで夢掴もうとしてんねん!」と返したのだそう。

引用元:X (Twitter)

chinoちゃん

根性入ってるよ。横山さん!

やがて芸能活動が多忙になり、建設会社を退職するときは「芸能界でうまくいかなければ戻ってこい。」と言われたそうですよ。

義父と母親の離婚で極貧生活

だんだんジャニーズからもお金をいただけるようになった横山裕さん16歳の頃に、母親が癌になり、義父と離婚されてしまいます。

chinoちゃん

義父、鬼畜!

母親、弟2人、横山裕さんの家族4人が四畳二間のアパートで身を寄せ合う極貧暮らしでは、なんと、トイレが水洗ではなく汲み取り式だったそう!

義弟が「なんでうちはこんなん?」と聞いてくるのがとてもつらかったと、横山裕さんは語ります。

このころ、徐々にジャニーズとしての活動で人気が出てきて、追っかけファンが家に押しかけて来てしまうという困った事態を避けるために、横山裕さんは独り暮らしをすることになります。

弟たちは児童養護施設に入ることになり、家族が離れ離れとなってしまいました。

chinoちゃん

涙…。

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ソロツアー中に母親が急逝

引用元:YouTube

ジャニーズとして芸能界で活躍し始めていた最中に当時50歳だった母親が買い物中に虚血性心疾患で倒れ、そのまま亡くなってしまいます。

母親が亡くなったときには、横山裕さんはソロツアーの真っ最中で「僕がステージに立たないで家に帰ったら、オカンも嫌やろうなって」気丈にも予定通りすべてのライブを行い、元気な姿を見せていたそうです。

オカンのオニギシ食べたいよ

奇しくも、横山裕さんが女手一つで育ててくれた母親への思いを綴った「オニギシ」という曲を歌う予定だったので、歌う前に、横山裕さんはこう切り出しています。

「僕は家族が大好きです。親に感謝は忘れないでください。親がいる事は当たり前ではないですから。」

めちゃくちゃ重い言葉ですね。

引用元:X (Twitter)

「オニギシ」とは、横山裕さんが幼い頃に「おにぎり」が言えなくて、「おにぎし」と言っていたから、曲名につけたのでした。

「オカンのおにぎしは、すっごくしょっぱかった。」

chinoちゃん

号泣…!

コンサートツアーは中断されずに敢行され、ファンの知るところとなった、母親の死。

コンサート最中に、すすり泣くファンも出たりしたが、「しんみりするなよ。」と横山裕さんが笑いかける場面もあったと言います。

引用元:X (Twitter)

「お客さんにバラしたら絶対にアカンと思ったんで言わなかったんです。来ていただいてるお客さんには関係ないことですし。」

横山裕さんはこのように言っていました。

さらに、メンバー全員が母親の葬儀に参列してくれ、めちゃくちゃ嬉しかったと横山裕さんは語っています。

引用元:Pinterest

メンバーたちが「これからは俺らが横山くんの家族にならなあかん。」と言っていたという話は、ファンの間でも有名な泣けるエピソードで、メンバーの絆の強さを表していますね!

chinoちゃん

涙…。

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横山裕は弟2人の親代わりだった

母親が亡くなったとき、横山裕さんが29歳、弟が23歳と21歳で、横山裕さんは「弟たちが一人前になるまで俺が面倒を見ていく。」と宣言し、弟の大学費用なども全部面倒みたそうです。

ちなみに6歳下の弟が勤で、8歳下の弟が充と言います。

ドラマのような話ですが、母親が亡くなったショックで次男勤さんは、およそ2年ほど記憶喪失になってしまったそうです。

横山裕さんが弟との時間を多く持ち、母親との思い出の地を巡ったり、思い出話を語ったりした結果、弟の記憶は戻ったのだそう。

弟の結婚式では涙で…

横山裕さんの支えがあり、義弟は無事に、ぞれぞれ大きくなり巣立ちました。

弟が結婚するとき、当初結婚式を挙げない予定だったのですが、横山裕さんが結婚相手の女性の気持ちを聞いた上で「男として結婚式を挙げろ。」と説得し、結婚式を挙げたと言います。

結婚式では、横山裕さんがサプライズでトランペットを演奏する予定だったのですが、直前に弟から感謝の手紙をサプライズでもらい、涙でトランペットが演奏できなかったそうです。

横山裕さんの生い立ちがこんなに過酷とは知りませんでしたが、弟さんたちを立派に育て上げて、感無量でしょう。

これからの横山裕さんの人生が、よきものとなるよう、心から祈っています。

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