作品ごとに多彩な役を見事に演じ分け、存在感と幅のある演技を見せる実力派俳優の大東駿介さん。
数々のドラマ・映画で活躍中の大東駿介さんですが、実は生い立ちが悲惨でした。
大東駿介さんは、小学生で父親、中学生で母親が蒸発、家庭崩壊の実家に一人きり取り残され、親を恨み、ひもじく惨めな極貧の引きこもり生活を送っていた暗い過去があります。
「自分は要らない子」だと自己否定にかられる体験が、大東駿介さんに暗い影を落とし、対人恐怖症やトラウマに悩まされる一方、手を差し伸べてくれる、ありがたい存在に救われます。
家庭崩壊を恐れるあまりに、自分自身の家族を持つことを拒み、自由を求めて責任逃れの行動も起こした彼が、今では父親に。
今回は、大東俊介さんの凄惨な生い立ちと、その経験から捻じ曲がっていく「家族観」、現在の大東駿介さんが持つ「家庭」についても言及しましょう。
ご興味あれば、最後までお読みください。
大東駿介の生い立ちがひどすぎた
あなたは、幼いころどんな子供でしたか?
大東駿介さんは、中学生で家族が誰もいなくなり、ひとりぽっちになってしまいます。
引用元:instagram
そんな幼少期を過ごすことを、あなたは想像できますか?
大東駿介の実家は大阪府堺市
大東駿介さんの出身地は大阪府堺市で、実家は父親がタクシードライバー、母親が実家でクリーニング店を営んでいました。
大東駿介さんが高校に入る前、中学3年頃に叔母に引き取られ、大阪府立堺工業高等専門学校に進学しているので、叔母の家も堺市の実家からそう遠くなかったのではないかと思われます。
母親が蒸発して中学生で一人暮らし
大東駿介さんは中学生で実家での一人暮らしを強いられてしまいます。
両親が離婚して、父親が家を出て行ったのが大東駿介さんが8歳のときですが、大東駿介さんはその当時、離婚した事実を知らされていなかったそうです。
タクシードライバーの父親とは、もともと家で会うことも、めったになかったといいます。
え…お父さん…!帰る家が他にもあったの?
その後、母子家庭になる大東駿介さんですが、中学2年のときには母親も蒸発してしまいました。
父親がいなくなってからの数年は、母親が実家で営むクリーニング店で生計を立てていましたが、学校から帰ってきても母親が不在であることが増えていきます。
そのうちにいくらかのお金を置いて母親が帰らない日があり、それが、2日、3日、1週間と徐々に延びていき、最終的に家に帰らなくなりました。
10円の駄菓子で命をつなぐ
母親が置いて行った現金がなくなると、レジに残るお金を使い、そのお金もだんだん減って小銭だけになり、いよいよ10円の駄菓子を1円玉をかき集めて買う状態になります。
その当時の大東駿介さんの主食は、駄菓子の「どんどん焼き」(現在メーカー小売り希望価格30円)でした。
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「餅米と、豆がたまに入ってるから栄養にええやろうと。どんどん焼きのバランスに助けられた。」と、笑って語る大東駿介さん。
しかし、かき集めた1円玉ばかりで支払うときが恥ずかしいので、ひとつの店で1個、また別の店で1個とはしごして「どんどん焼き」を買いに走りました。
野良犬のような自分を、かわいそうなやつと思われたくなかったからです。
先生が買ってくれた菓子パン最強!
そのころ、一番美味しかったものは、スティックチョコパンとジャムマーガリンのコッペパンだそうで、今でも大好きだそうです。
それは、学校にお弁当を持って行けず、昼食を食べていないと気づいた担任教師がコンビニで買って来てこっそり渡してくれた菓子パンでした。
俳優になって、先輩俳優にいいお店に連れて行ってもらい「めっちゃおいしいな!」と思いながらも、満たされず、スティックチョコパンを買って食べ「最強の味」に満足するそうです。
私も幼稚園のとき、うっかり者の母がお弁当を持たせるのを忘れ、先生が菓子パンと牛乳を買ってくれたことが2度もあります。
食べ物の恩って、本当に忘れないものよ!
ライフラインが止められて
引用元:instagram
そんな大東駿介さんの極貧生活も、ライフラインが止められ、とうとう限界に達します。
夜、電気が点かない部屋の大きな姿見に映る自分に向かって「■すぞ!」と叫んだりして、近所のおじさんが驚いて飛び込んで来たこともあるそうです。
自分を無条件に愛し肯定してくれる存在を失い、父親、母親を恨み、しまいには大東駿介さん自身が自分を否定し始めます。
「自分は要らない子」
話し相手は飼っていたウサギ
話し相手は飼っていたウサギだけとなり、「自分は社会に出ちゃいけないんじゃないかと思えて」引きこもりの生活となってしまいました。
大東駿介さんが小学5年生ころに、母親がウサギを拾ってきて、そのウサギと高校までずっと2人暮らししてたそうです。
ウサギって拾えるの?!
大東駿介さんは、あまりウサギのお世話もせず、コロコロうんちを放置したままの汚部屋で暮らしたとも語っています。
私も小学生のころにうさ子というウサギを飼っていて、ウサギのフードや草、トイレ…せっせとお世話していた記憶があります。
ってか、大東駿介さんは自分の食べ物もままならない生活なのに、ウサギさんがごはんを食べられていたのかが気がかりです…。
金属バットが命の恩人
大東駿介さんがウサギと一緒に完全引きこもりだったとき、いつもつるんでいた仲の良い5人組の友達が、毎日外から「遊ぼう」と声をかけてくれました。
しかし、ひきこもりの大東駿介さんが顔を見せずに無視を続けていたところ、友達が玄関のドアを壊して無理やり入って来て、それから自宅が仲間のたまり場になります。
大東俊介さんは仲間5人の存在によって、救われたのでした。
そのときの仲間の1人が漫才コンビ「金属バット」の小林圭輔さんです。
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あら、ドラマみたいね。
仲間が命の恩人だと語る大東駿介さん。
大東駿介さんが危機的状況であることは、「そのとき仲間の誰一人知らなかった」と小林圭輔さんは言ったらしいのですが、私はそんなことは無いと思います。
じゃなければ、玄関ドアの鍵を壊して入って来るかい!
あるとき、友人が家に呼んでくれ、「ごはん食べて行って。」と夕食をご馳走になったときに、食卓にカレーと寿司と焼きそばが並んでいたのだそうです。
「今思えば、僕にたらふく食べさせようとしたんだなあ。」と大東駿介さんは回想しています。
大東駿介さんは「かわいそうな子」に見られたくなかったでしょうが、まわりは気づいていて、黙って気遣ってくれていたのだと思いますよ。
悲惨な目に遭ってはいますが、悪い事ばかりじゃなかったから、大東駿介さんは這い出てこれたのですね。
我が子のように育ててくれた叔母
大東俊介さんのひとりぼっちの生活は、その後叔母に引き取られるまで、なんと1年も続きました。
引き取ってくれた叔母は、わが子のように大東俊介さんを育ててくれたといいます。
おかげで、高校生活はとても楽しく過ごせ、また、従兄とも仲が良く、従兄を本当の兄のように今でも慕っているそうです。
叔母さんから「アルバイトしいや。」と言われ、コツコツとアルバイトでお金を稼ぎ、17歳で兄弟同然の従兄と上京し、一時は同居もしていました。
高校を卒業後、大東駿介さんは役者を目指すことになります。
大東駿介を捨てた父親と母親が…
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大東駿介さんは、高校に入学する頃に母親に一度会い、そのときに母親から引っ越しと同居を提案されるのですが、意地のようなものがあって拒絶してしまいます。
まぁ、当然よね…。
それから母親とは会わなくなり、「今は会わない」という選択をしています。
大東駿介さんが8歳のころに家を出て行った父親とは、再会しないまま生き別れとなりました。
20代前半に父親の連絡先がわかっても、大東駿介さんは「会うもんか。」と意地を張って会わないまま過ごし、25歳くらいで会おうと思ったときにはすでに父親が亡くなっていたのです。
遺影で父親と久々に対面したときに、写真を見ても父親だという実感がなく、すごく悲しくなったそうです。
過去のトラウマで家族と一緒に暮らせない?
凄まじい生い立ちとともに成長し、俳優になった大東駿介さん。
しかし、そこでジ・エンドではありませんでした。
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2020年6月4日の「女性セブン」の報道記事により、妊娠が判明した一般女性と2015年12月に入籍するも極秘に別居婚生活を送っていたこと、子供は3人いることが明るみに出てしまいます。
過去のトラウマでしょうか?
家族をつくることが怖かったと言います。
彼女から妊娠を知らされて、申し訳ないと思いつつ籍は入れるけれど、一緒に住めなかったのだそうです。
マジですか?
父親・母親が子育てを、責任を、放り投げたことを恨んだ大東駿介さんなのに、自分の子供に対して、結果同じことをしている、という意識はなかったのでしょうか?
されたことを反面教師にはできなかったのでしょうか?
家庭をつくることが怖かった、家庭が崩壊するのが怖かったなら、子供をつくるべきではないですよね。
さらにビックリ、おかしなことに、子供がいて入籍している事実を伏せて、水川あさみさんとおつきあいをしていた、ということ。
結婚の事実を伏せてつきあい、知らせずに別れたから、誰も傷つかないだろうと…?
何やっとんねんっ!
家庭を持たない理由を、過去のトラウマのせいにして良いはずありません。
しかし、妻子とは2020年4月から同居を始めたといいますから、まぁ、めでたしとしましょうか。
大東駿介さんの極秘別居婚については、こちらに記事を書きました▼
大東駿介さんが、自身の家族を大事にすることで、過去のトラウマがすべて解消されますように!